2021.5.8

「グループ展」

グループ展に呼ばれない気がする。かつての同級生がやっているグループ展は楽しく見に行ったりするけど、特に友達が多く出ている展示は見ながら心の中で「僕は?」とか思っちゃう。グループ展呼ばれたいなあ。すごいがんばるのになー。ということを人に話したらあなたは全部持っていこうとするから嫌だと言われた。そんなことないよ。

そういえば、卒業制作の時も誰も同じ部屋になりたくないと言ってた。スピーディーに専用の一部屋を割り当てられた気がする。確かにあの時はうるさい作品ばっか作っていたから、その時のイメージが強いのかもしれませんが、今はそんなことないし、割り当てられたスペースだけで頑張れるし、打ち合わせも出席できるしどうにかよろしくお願いしますよ〜。

と書いたけど、単純に実力が不足しているので呼ばれねえのかしら。悲しい。

二人展とか今まで本当に一回もやったことない。三人展とかもないかも。思い当たらない。コンペの入選展くらいしか大学出てからのグループ展はやったことない気がする。いや思い出せば、いくつかはある気がするな呼ばれて出したグループ展。でもあったっけと思い出さないといけないくらいグループ展に縁がない。ああ、個展したい。


2021.4.25

「澤登信太郎が書いてくれた自分についての文章」

この間、大学に入ってからの自分の作品をほぼ全て見ている「のぼり」こと澤登信太郎に自分の作品について文章書いてよと頼みました。ポートフォリオに載せてたりしてたのですが、いい文章なのでここにも載せておこうと思います。下から彼の文です〜

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田中義樹と初めて会ったのは2012年の夏、新宿の美術予備校だった。狭いビルの一室に、現役生と浪人生とが全国からぎっしり集まって蒸し暑かった。

僕の正面で細身のインド人みたいな男がやたら目をギョロつかせて模刻をしていた。

夏期講習だったが、現役生も皆うまく作れるようになっていて、全く油断ならない状況の中、そいつはものすごい勢いで蟻塚のようなものを作っていた。それが義樹だった。

 

かなり怖かったのを覚えている。僕は模刻がかなり上手い方だったと思う、周りの人との差を頭で理解しているつもりだったが、そいつの造形は、一体何が起こっているのかわからなかった。眼光の鋭さと手の速さは尋常ではなかったので、時間ギリギリに要点を抑えて"化ける"模刻なのだと確信し、恐怖した。全国レベルは怖い、自分を井の中の蛙だったと恥じた。

タイマーが鳴り模刻が終わって、僕の正面にあったのは、インド人のような男と巨大になった蟻塚、土塊だった。

 

講評後、圧倒的最下位だった彼は、この後終電で三重まで帰るという。僕は、パッとしなかった自分のことを棚に上げて、勝手に同情して心が重くなった。後で聞いたら新幹線で泣いたらしい。かわいそうに…

 

その後、武蔵美の入学式にいた時は心底ビビった。補欠合格の最下位だったらしい。執念も運命も怖すぎる。

我々は割とすぐに打ち解け、一緒に東京ドームシティの観覧車に乗ったりした。

 

 今回私がレビューを書かされたのは、私が、彼の大学入学時からのほぼ全ての作品を観た数少ない人間だからだ。

 

彼は同年代の他の作家よりも展示が多いし、劇場やライブハウスで演劇やコントなどもやっている。

同級生ですら、就職していたり、制作で忙しかったりするので、全て見た人というのはおそらくいないはずだ。

私は卒業後、美術作家にはならずぐーたらしていたのだけど、趣味で写真を撮ったりトラックを運転できたりしたので、色々と展示の準備を手伝っており、そのせいでなんだかんだ網羅してしまったのだった。

 

義樹とは2012年の土塊事件から、これを書いている2021年まで、9年の付き合いである。

 

義樹の作品はよくわからない。おそらく本人にもよくわかっていないんじゃないかと思う。

Ongoingでトークイベントを行なった美術評論家も、1_wallの著名な審査員たちも田中義樹がよくわからないようだった。

卒制に対する教授たちのコメントもよくわかってなさそうだった。でもなぜか優秀賞をとっている。なんでやねん。

かくいう私も、9年間横で見ていてわかっていない。

 

わからないというのは個々の作品や総体としての展示のことではない。これらはむしろあけすけな印象を受ける。数々の有名な文脈的モチーフがダジャレのような薄いつながりでまとめられ、メッセージ性や視点が意図的に削られたような時事問題もひょっこり顔を出す。しかし決して散漫にならず、一体感を伴って可笑しみや虚しさが襲ってきたりする。

わからないのは過程と目的である。思考が追えないのが「わからない」ポイントであろう。

 

彼の作品がわからないなと思い始めたのは大学3年くらいからだろうか。

入学当時はダンボールを用いた制作スタイルだった。ダンボールの作品で高校生の時から賞をとっていたらしく、「財団から賞をもらった」と言っていた。「財団」の響きにビビったのを覚えている。

しかし、国分寺のカフェでの「YESNO」の展示あたりからポリティカルになり、「Retweet」や「オセロック・フェスティバル」など、ダンボールを離れて作品を制作するようになった。その独特な世界観に密かに嫉妬していた私は、彼から武器が削がれたようでちょっとだけ安堵しちゃった。

が、しかし、義樹は進み続けていたのだ。授業で教鞭をとっていたOngoingの小川氏に誘われ、突如アートイベントTERATOTERAに参加、「一富士・三鷹・パンまつり」を制作。義樹は作品を外側から見たいと言って、私に、ブルーシートの富士山からサカナクションの曲に合わせて竜を出したり引っ込めたりさせた。私がわからなくなったのは、このあたりからだった。

今の義樹のスタイルは、やはりこのあたりから続いているように思う。

 

文脈やらコンセプトやらが叫ばれる現代美術の世界において、"よくわからない"というのはとにかくこわい。よくわからないものは評価しづらいし、値段もつけづらいし、所有も難しい。形のない作品であれば尚更だ。

生き方としても元々不安定な世界であるのに、金銭的なリスクが読めないのは考えるだけでも恐ろしい。

リスクを考えれば制作は必然的に堅くなりがちだ。彼はそんな不安を、持ち前の超絶軽いフットワークでかわしているように見える。僕が年金や奨学金のことを考えて布団でうずくまっている時に彼はカモメとかバナナのことを考えているのだろうか。作家でサッカーだろうか。

 

ここに彼の強さと魅力があるのだろう。

よくわからないままでいい、というのはスタイルとして強い。私がもし、あの1_WALLのバナナだったらその軽さが嬉しいかもしれない。

 

大学に入ってからもたびたび二人で土塊事件を話しては爆笑していたけど、今思えば、かなり象徴的な話だと思う。

9年経ってもなお、義樹の眼光は鋭く、手は早く、作るものはよくわからないままだからだ。

あの夏期講習で、全国レベルはやばい、井の中の蛙だと自分を恥じたことは間違いではなかった。

気がつけば、予備校でぶっちぎりのビリだった義樹はメダルを獲り始めていて、めちゃめちゃ活躍している美術作家になっている。

「子供の頃、大人になったら金メダルをいくつもとると思っていた。」そんな話を義樹としたことがある。

彼は着々とメダルを取り始めている。

正体不明のつちくれが技術や文脈の世界を突っ走っているのをみるのはとても愉快だ。

彼の観測者である僕も布団から出て走らなければならない。大変だ。

 

義樹は今後も止まらない。

これからも広く、深く、軽く、暴れて続けて欲しい。


2021.4.18

「大地の芸術祭延期!」

えーと。次の7月から新潟の越後妻有の大地の芸術祭に出ることになっていたのですが、現地でコロナの感染が相次いで起きたことなどをきっかけに、芸術祭が延期になることが発表されました。再開がいつになるかは未定だそうです。事前に延期を知らされていたわけではないので急な話でビビりちらしております。実際、高齢者の多い十日町やその周辺で、大規模な芸術祭をやるのは、地域の人にとって不安でしかないし、やれば数万の人がくる芸術祭をやるのはやばいのでしょう。仕方なし。まあ中止じゃないしね。延期だから延期!

とは言いつつも、再開は一体いつになるのでしょうね。数ヶ月、半年、一年後?ヒョエー。今年のがっぽり開けてた予定が宙ぶらりんになってしまい、今日はずっとアトリエの庭の木を高枝切りバサミで切っておりました。予定がないと人は草木をいじりがち。前から庭の雑草は抜いてたのですがついに、木の方に行きました。大まかに邪魔な枝は切り終えたので、もうちょっと剪定して、見栄えをよくしたいなあと言う欲が出てきました。あとアトリエの余ってる木で本棚でも作ろうかしら。今日、Twitterのタイムラインでインスタレーションを作る作家は展示の予定がない時何をしてる?みたいな投稿を見かけたのですが、草木をいじってますね。あと新しいコントを作ろうかなとか。あ、今日一日、外で枝切ってたら調子が良かったです。日光大事。キャンバスもらったから絵でも描こうかな。

あと、久しぶりに漫画描こうかなとか思ったり。考えてることが、去年のちょうどこの時期の自粛期間と似てる、、、

あ〜展示したいな〜。て言うか舞台やりたいな〜。私かわいそう!去年に引き続き展示が消えたり、のびたりしてかわいそう!そんたくズかわいそう!井上さんはどうだっていいから、ハリボーとかあげときゃいいからさ。僕には優しくしてくれ。ハリボーよりでっかい外国のわけわからんグミをくれ!

んで再開したら新潟に遊びにきてね〜!


2021.4.12

「インタビュー」

この間、展示をした関係でアクセサリーショップのdesign sixで軽いインタビューを受けました。design sixのインスタグラムに載せる用で文面でのインタビューも答えたのですが、せっかくなのでここにも載せときます。

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○今の時代について感じることはなんですか?

今の時代はというか、最近の自分は140文字以内のとってもインスタントな情報ばっかに頼るせいで、どんどん広くて浅い人になっているような気がします。もうグッナイ。でもその感覚ってみんなあるみたいで、何か一つに詳しい人にみんな憧れてるみたいですね。自分も美術に詳しい人になりたかったけれど、美術続けてると周りには美術に詳しすぎる、持ってる本の量お化けみたいな人がいっぱいいて嫌になりますね。この世で一番偉い人は、本いっぱい持ってるやつとレコードいっぱい持ってる奴です。入門書みたいな本ばっか読んでる私があいつらにどうやったら勝てるというのだ。入門書から入門書へ。尾崎紀世彦よりドアを開けたり閉めたり。

今の時代、美術入門書が増えすぎててむかつくので全部焚書。入り口のドアを閉じましょう。下から出てくる才能を見たくない。カモベビライマイファイヤー。これはドアーズ。

 

 

○自分の中で大切にしてることはなんですか?

特にないです。と書くとどうなんだろう。でも作家なのに大事なことが特にないんです。昔はあったかもしれない。コントラポストが大事とか言って人体彫刻とか作ってました。でも人体を作らなくなったし。村上隆さんの本にかぶれて「文脈」とか言ったりしてたけど、最近は少し脈絡がなくなってきたし。戸谷成雄は、作りたいものがなくなってからが作家とか言ってたな。でも作りたいものがなくなったというか、作りたくねえなと思うことが増えた。そういうこと言ったら、彼には「なら作家を死ねっ」て言われるだろうな。一回言われたし。

高校生の自分を作家にしてくれた、ヒーロー伊藤がいつの日か「お前は作家になれる」って言ってくれたわけだからまだ死ねないです。あれが私のヒーロアカデミアだったのか、ありがとうオールマイト。よく思い出すと「そこそこ」の作家にはなれると言ってたな。でも、その言葉は大事にしてます。

チェーホフの「かもめ」に出てくるトレープレフくらいまだ作家になりたいです。いつかは彼見たくピストル自殺か、大作家のように演説からの割腹か、パンクロッカーらしくナンシーと割腹か。武士見たく死際を大事にしたいと妄想します。これが男のナルシシズム。「武士は食わねど高楊枝」という言葉は大事にしてます。母方の先祖は武士だし、自分も10年くらいは剣道やってたし。

でもまあ自分はなれて「そこそこ」だしな。なんでもいいです。

 

 

○それを踏まえ、今後自分の作品や作家活動を通してやりたいことや表現したいことはありますか?

特にないです。と書くとどうなんだろう。でも作家なのにやりたいことがないです。何か仕事くれたらなんでも一生懸命やります。文章書け!でも、絵を描け!でも、考えろ!とかいう命令でもなんでも聞きます。よろしくお願いします。でも他の欲望ならたくさん。一生に一回はテレビに出てみたいです。一生に一度、創作あーちすとの、のんさんと対談をしたいです。有名人に囲まれて吐くほどのドンペリを飲んでみたい。フジロックに出てみたい。有名になってみたい。有名になりたい!有名な立派な作家がどんな気持ちでいるのでしょう。私もいつか有名になりたい!この願いが叶うなら私どんなことだって!、、、てなことを有名な作家のトリゴーリンに打ち明けた女優志望のニーナは落ちぶれて、「そこそこ」の女優にしかなれませんでした。

そんな「かもめ」というお話を書いたロシアの劇作家のアントン・チェーホフって人は人生は主観だと悲劇だけど、俯瞰だと喜劇だよねって言いました。さっきのシーンも舞台だと実はちょっと笑えます。悲しいけど。

次の僕の予定ですが、7月から越後妻有の大地の芸術祭で舞台を作って舞台をします。三省ハウスという場所の体育館です。舞台の上で有名になりたいとか言ってる自分を笑いにきてください。

ではまた逢う日まで。ドアばたーん。

 

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要領を得ないことを書きました。

直接design sixに行って写真撮影もしたのですが、みんな天才だとかイケメンだとか褒めてくれてものすごく気分が良かったです。まるで売れっ子になったのかと思いました。

 


2021.4.11

「人生で面白かった映画」

別に映画をたくさん見るタイプの人ではないけど、映画は好きです。

この間今まででの人生で面白かった映画ベスト3みたいなネットの企画を見てて自分だったらなんだろうかと考えてしまいました。バックトゥザフューチャー3部作で3つ埋まっちゃうよ〜、アニーホールとロッキーとゴッドファーザーとショーシャンクとアニメだったらイエローサブマリンは外せないじゃないすか〜というくらいの面白すぎる大名作は置いといて、もうちょっと探って見たいなと思いました。ベスト3と言っても今の気分なんで、季節やら胃の調子とかでコロコロと変わります。とりあえずパッと浮かんだ3つを。

 

○ウディアレン「スリーパー」

さっきウディアレンのアニーホールは外せないよねと書きましたが、彼の作品は他にも外せないものが多いですね。現在、ウディアレンの話を書こうとすると、彼のした性犯罪疑惑についても触れねばいけないので、雑誌とかネットの記事ではわりと腫れ物扱い感もあります。見た映画をいくつか思い出した時、「スリーパー」は自分の中の感動の瞬間最大風速が高かったのは事実なのでピックアップします。あと、同じくらいに作られたキューバ革命をモチーフにした「ウディアレンのバナナ」も良いです。いろんな意味で。下積み時代のシルベスタースタローンが端役で出てます。

スリーパーの内容は、1973年に冷凍冬眠した男が200年後に目が覚めたら、めちゃくちゃ全体主義の警察国家になっていて、なんやかんやで反乱軍との戦いに巻き込まれるみたいな話です。一個一個セットもチープだけど可愛いし、警察の武器はいちいち爆発するし、ウディアレンはずっとキモいし、すごい好きな作品です。面白さの総合点的にはアニーホールの方が面白いですけど。

 

○日本初の長編アニメ「桃太郎 海の神兵」

日本初の長編アニメかつ、1945年公開で、戦時下のゴリゴリのプロパガンダアニメです。海軍省の命で当時、松竹動画が当時じゃありえない予算と人数で作ったとか。国がアニメにここまでお金を割いたのは最初で最後じゃないかしら。それでも戦況悪化で徴兵されスタッフが減っていく中、なんとか完成まで漕ぎ着けたとか。戦後、GHQにフィルム焼かれたらしいですけど、ネガが残っていていまだに見れます。

監督の瀬尾光世が海軍から押収品のディズニーのファンタジアを見せてもらったらしく、すこぶる感動して、こんな夢を与える映画にしたいと、影響を受けたミュージカルシーンを入れたとか。手塚治虫も戦時中にこれ作ったのかと海の神兵に感動したらしいです。

当時、本場ディズニーのプロパガンダはまたさらに比べ物にならないくらいクオリティが高いのです。ディズニーのプロパガンダアニメだけを集めたDVDとかがあって見たことあるのですがこれも面白いです。

どちらも良かったら見てください。怖いくらいの本気を感じます。

 

○東宝の発禁映画「ノストラダムスの大予言」

1974年公開で、今はビデオ化も何もしてない映画です。海賊版が出回ってたりします。昔にたまたま見る機会がありました。東宝が配給で、当時はやった五島勉の「ノストラダムスの大予言」をモチーフにした映画でした。ざっくり、いうと環境問題が悪化して、世界中で異常気象、天変地異、公害、未知の病気とかが発生。このままでは人類は滅んでしまうという予想が「ノストラダムスの大予言」とかぶる。みたいな話です。

ニューギニアで、放射能被曝した原住民が食人鬼になるシーンが、割と緩い当時ですら倫理的にアウトとされ抗議を受け、その部分を差し替えて上演が続けられて、その年の興行収入の2位までいきましたが、他のシーンも差別的、倫理的にアウトのシーンのオンパレードでビデオ発売はされぬままでした。特撮で首都高が全部爆破されるシーン、未来に悲観した若者たちがバイクで次から次へと崖から飛び降りるシーン、食糧危機で米屋をおそう人々、当時のアングラ演劇でもこんな格好はしないぞという衣装で終末を憂うパフォーマンスをする若者たちのシーン(作った奴らの当時の若者観どうなってんだよ)が印象的です。よく撮ったなこれと思います。

由美かおるが生まれてくる未来への子供への希望を託し、公害で2つに見える太陽のまえでバレエを踊るシーンはものすごくグッときます。しかも当時こんな内容だけど、環境問題に言及してるという一点のみで文部省推薦映画になっていたとか。機会があれば見てください。衝撃すぎるラストを見逃すな。

 

以上とりあえず3つ書いてみました。最近見に行った「JUNK HEAD」も良かったし、高校の時に見たアニメの「RED LINE」、ウォレスとグルミットは「チーズホリデー」を繰り返し見たとか、スターウォーズはエピソード8が好きだとか、「日本の一番長い日」を映画館でみてすごい良かったとか思い出してきた。「地獄の黙示録」も映画館で見たいな。ジブリだと「風立ちぬ」が一番好き。

書いてて思ったけど戦争映画多いな。


2021.3.22

「太った」

昔と比べて、最近太りました。顔だけ見ても3年前くらいのシンプルにあんまりものを食べてなかった時の写真と比べるとふっくらしてます。

美術作家は恰幅が必要だと言う持論があります。何か喋っていても体型の細い人と比べると作品に説得力が増す気がしていて、3年くらい前から恰幅が欲しいとは言っていました。高校の時に美術を教えてくれていた先生が、当時から作家には恰幅の良さが必要と言っていたのでガッチリとした体型になりたいなーとか思ってはいた気がします。

あと、お笑いをやるにあたっては恰幅いい方がファニーな感じがするし、舞台で映えるし。とか思っていましたがこのままいくと何年後かには、恰幅がいいとかを超えてシンプルに太った?とか言われそうなので抑えたいです。酒が良くないんでしょうね。

なので最近腹筋をしてみたら筋肉痛になりました。そりゃみんな、楽に痩せる方法を検索するし、変なサプリメント買うわなと思います。

そんたくズの井上は学生時代に真横でブクブク恰幅を増して行きました。ファニーな感じがします。しかし、凸凹コンビ感的には私まで似たような体型になるわけにいかないので何とかしたいです。舞台に出るのが一番汗を書くので、2週間くらい毎日公演する作品を痩せるために発表するのも手です。しかし去年それをやった時は、毎公演後吸い込まれるように油の多いラーメン屋に行ってましたのでプラマイゼロむしろマ〜イ!


2021.3.21

「遠い展示に行けない」

美術作家を名乗っているので、作るだけでなく、展示もチョコチョコ観に行きます。

制作前で全く観に行けない時もありますが、平均すると大体週に3つくらいは展示を見てると思います。東京にいると毎週毎週いろんなところで、作家たちが人生をかけた展示をしてくれているから、たのしきアートウォッチライフを送れます。本当にありがとうございます。

けれど、自分は移動が基本的には大嫌いなので往復が2時間以上かかると急に行きたくなくなります。都心の方までなら住んでいる小平から片道1時間以内で行けるので、まあ行ってもいいかな〜と思いますが片道1時間半以上かかるとやってるのがマークマンダースとかでも、めんどくささの方が勝ちます。移動が嫌いすぎてポケモンGOは半日で辞めたことがあります。地方芸術祭はほとんど行ったことがありません。アートを見るのに夜行バス乗ったり、新幹線に乗ったり、飛行機に乗ったりするのは嫌です。ちなみに作品を作りに行くために夜行バス乗ったり、新幹線に乗ったり、飛行機に乗ったりするのは好きです。作品じゃなくて、舞台をやりに行くためならさらに良いです。頭の中でフラワーカンパニーズの「深夜高速」や「ハイエース」が流れます。

舞台をやりに行くのは好きですが舞台に関わる役者が4人以上になると、急にやりたくなくなります。昔、劇団をやっていたのですが大人数関わる劇が嫌すぎて、今やっている「そんたくズ」の形態になりました。大人数が関わる劇を観るのは好きなのですが、関わるのは嫌です。役者が二人で、舞台は自分のインスタレーション、当日オペが一人だけと言う編成が自分に一番あっています。本当は大規模なオーケストラに憧れているけど、仕方ないからバンドをやっている感じでしょうか。集団行動があまりできないみたいです。

展示を見るために長距離移動できる人になりたいです。ドクメンタとか行く気配すらありません。あいちトリエンナーレは帰省ついでにいつもみてます。いつかモナリザを見にいきたいです。それより今はUSJに行ってみたいです。任天堂ワールドと言うすごいインスタレーションがあるらしいです。あと、沖縄で泡盛飲みたいです。ゴッホの星月夜はいつか絶対観に行きたい。けど移動をしたくない。

そんな自分なので、次の展示を新潟でやるのですが、人に新潟にきてくれと言いづらいです。


2021.3.18

「寝ないと狂う」

花粉の時期って、鼻水と一緒に体力も外に排出してしまっているのか異常なまでに眠いですね。花粉のせいにして1日10時間くらい平気で寝ます。人によって睡眠時間は違うでしょうが自分はたくさん寝ないと辛いタイプです。何もない日は娯楽として寝たりします。自分はある程度、意図的に夢を操作できるので面白い夢を見る目的で昼から寝たりします。こう言うのを明晰夢と呼ぶらしいです。明晰夢を見すぎると狂うとネット記事かなんかで読みましたが、一番狂うのは寝ない奴です。睡眠が足りないと人は狂います。

大手広告代理店のスタープレイヤーの出してくるものに、たまになんでこれがまかり通ると思ったんだぶっ殺すぞ!と言うものがありますね。炎上するたびに、なぜこれを出して大丈夫だと超大手に入れるほどの人間が思ったのか不思議に思いますね。答えは、あいつら寝てないからです。寝てないから狂ってるんです。寝た方がいい。

作品を作っていると、いくらでもクオリティーが上げられるからと言う理由で、寝ずに作業することがありますね。売れている広告屋さんなんていくつも案件を抱えて、納期も常に迫っていると言う状況にすぐなるので寝れず、狂います。狂人と化します。

たまにある変な広告とかを、作ったやつら寝てないなと思ってみると妙に納得したりします。寝てない以上に、他のやばい要因が見えるパターンもあるんで、なんでも一概にはできないですけどさ。

 

そういや自分も展示と舞台が連日あって疲れすぎてた時、芸能人の不倫のゴシップ記事がものすごく面白く感じてやばいなと思いました。ああいったゴシップが受け入れられるのは、みんなただ疲れているからなのかもしれませんね。昔から。

 

そして、明日は八王子パパビートで17時半から40分ほどのコントライブをします。内容がひどくても「あ。こいつら寝てないなと」優しく見ててあげてください。よかったらきてね。スヤ〜


2021.3.17

「お嫁さんになってあげないゾ!の衝撃」

展示を開催する時になど、解説文を書いたりします。自分は文章を書くのは昔からそんなに好きでなかったし苦手でした。小学生、中学生の時なんぞ、作文を母親に書いてもらうことなどザラにありましたし、その作文が賞を取ったり、先生に褒められたりするたび微妙な気分ではありました。自分で作文を書くようになったのは、美術を始めたタイミングからでした。美術のおかげでそのあたりの自我が芽生えたのかもしれません。

普通に生活してれば、そこまでこだわった文章を日常で書くことはないのかもしれませんが、最近は作品と一緒にみに来た人がわかりやすいように、文章もセットで書くので、こだわりの文を書くことが増えました。ステイトメントとか言うのかもしれません。できればわかりやすい文章で書こうと頑張りますが言葉の扱いに慣れてないので読み返すと、何言ってんだこいつと書いた本人ながら思う箇所も多いです。

けれど、わかりやすいだけでは読んでてても印象に残る文にならないので、悩みます。

悩んだ結果、J-POPの歌詞から言葉の選び方、言い回しを拝借しまくっております。3分くらいの短い歌の中に、我々の耳を引き付けるために選び抜かれた言葉が詰まりまくっているので、そこから吸収できるものは多いです。そんな耳を引きつける詩の大天才の一人が森雪之丞さんでしょう。

 

自分はアニメで言えば、ドラえもんよりキテレツ大百科の方が好きなのです。内容はキテレツの方が主要メンバーの関係性が健全だし、キテレツは自分でカラクリを作るので、のび太より遥かに自立しています。賢い。理不尽な暴力も少ないし、一番ドラえもんとの一線を画しているのは勉三さんの有無です。物腰が柔らかで、子供相手にも敬語を使い、いばらない。自分は子供相手のワークショップでは勉三さんに徹することを心がけるくらい勉三さんが好きです。あとコロ助本当に可愛い。

そして、オープニング。昭和の匂いが満載のドラえもんと違い、キテレツ大百科のオープニングは異常に垢抜けています。シティーの香りがする。みよちゃん主役のラブソングを都会的な画面と共にオープニングとして流してくるのですが、そんな曲の作詞をしているのが森雪之丞さんです。

 

森雪之丞さんはジャンル問わず様々なヒットソングの詩を書きまくっている、バリバリ現役のヒットメイカーです。(もはや説明不要でしょうが。)

その彼の仕事の中でも、キテレツのOPテーマである「お嫁さんになってあげないゾ!」は衝撃でした。言葉を仕事にしようとすれば、これを越えなくてはいけないのかと考えるだけで、目の前にグランドキャニオンが立ち現れるような気持ちです。(キャニオンみたことないけど)

しょっぱなの、「グッとハートがよじれて燃えちゃう恋、おねえちゃまを綺麗にした、、、」からグッと私のハートがよじれます。長くないメロディーの中にここまで無駄なく印象的なフレーズを入れ込めるのは天才の仕事です。スキップされないための激しい曲展開なんてなくても、この1行で引き込んできます。あとおねえちゃまってだれだよ?

次が、「そんじゃ私も負けずにヨロメクぞと、あなたに星を飛ばす、、、」。ユーミンの「恋人はサンタクロース」に出てくる、おしゃれなお姉さんと話していたのはこの子ではないのかなと言う気すらしてきますね。ここでおねえちゃまが誰かの謎が解けました。ユーミンです。

Bメロで『ヒップフリフリでせまれば、「熱でもあるんじゃないの」だなんて、、、』オープニングの絵ではここでキテレツが出てきます。キテレツのニブさがよく出てます。あと、ここでコロ助ヒップフリフリします。超可愛いです。(ちなみにこのBメロの2番は「賢治くんと手をつないで、歩いてたらいじけちゃうくせに」です。作中に出てこない賢治くんが急に登場するのでビビります。)

 

そしてサビの「なにさアンタなんてきらい。女心がわかんなきゃお嫁さんになってあげないゾ、、、」と続きます。ここまでとてつもない文章量の短さで、主人公の女の子の心情、相手の男のニブい性格も描写してきます。そしてそれは全て、誰でもわかる言葉です。それなのに耳にひっかかりを残す表現になっています。主人公の立場に自然と感情移入してしまう素晴らしい詩です。

長い文章より、短い文章の方が難しいと言いますがそうなんだろうなーと思いますね。自分だったら1000字くらい同じ情景描写に使ってしまいそう。

芥川龍之介は原稿用紙5枚程度の文章量の卒論で、東大を出たとか。彼は推敲の天才で、その短さでも卒業に足る内容があったのだ。と言う話をどっかで聞いたことあります。

 

いやー、だから私もこんな文ダラダラ長く書くなと言うことですね。ですんで、「お嫁さんになってあげないゾ!」ぜひ聞いてみてください。同じく、森雪之丞作詞の「ボディだけレディ」もオープニングのアニメが素晴らしいです。みよちゃんがキテレツくんたちをバックバンドに歌うのですが、フライングVを弾きこなすキテレツくんにグッとハートがよじれます。

 

ちなみにこれ書き出した理由は作品のステイトメントの息抜きで、キテレツ見たせいです。おもしれ〜。


2021.3.16

「毎日卒制気分」

この前、母校の武蔵野美術大学の卒業制作展を見に行きました。コロナの中制作は大変だったろうけど、いい作品がたくさんあって楽しかったです。(特に油画)

最近は、前澤友作に憧れたみたいな実業家とかが絵をよく買うらしいので、青田買い目的で卒制に来る美術関係者が多いんですみたいな話を聞いて羨ましいなあーいいなあーとか言ったり。

あと、やっぱり自分は卒業してから、一人で作品作ることが多いから、周りが全員作品を作ってた卒制前の空気感とか羨ましいなあと思います。作家やると、毎日卒制みたいな気分だけど一人でやんなきゃいけないので寂しいです。卒業制作作ってる時は楽しかったなあ、と回想しようと思ったけど、よく考えたらそんなことなかった。めちゃ大変だった。

 

学部4年の時はやたら外で展示をやっていたので、気がついたら燃え尽きてて12月になっていた。12月なのに卒業制作に手をつけてなかった。15か月後には卒業制作展なのに。当時公開されていた「この世界の片隅に」を12月頭に現実逃避に見にいった記憶がある。その時の日記に、「この国は嘘をつく、裏切られることもある。それでも生きていかなくてはいけない。と言うメッセージを映画から受け取った。自分も卒制をやっていなかったと言う事実は受け止めて、卒制をやらなくてはいけない」と書いてあった。何を言ってるんだキサマ。1月に入ってからの怒涛の追い上げでなんとか完成したけど、それも手伝ってくれた人のおかげでした。

作品はよかったと思うけど、SNSで誰も呟いてくれなかった。今や卒制はちょっとでも誰かの琴線に触れると、拡散されるけど、そんなのなかった。田中義樹でエゴサしても誰も呟いてなかった。

 

別に呟かれてるからいいとかないけど、卒制がバズる経験とかしてみたかったなあ。

すずさんは世界の片隅で見つけてもらえたけど、私の卒制は見つからなかった。誰も片隅で泣かないように世界は丸く作られたのにムサビは四角いから片隅で泣くことになった。

学部しか出てないから卒制は1回しか作ってないので、もう一回くらい作りたいです。でももう学校に入ることはないと思うから、今作ってる作品を卒制みたいな気分で作ります。

来れ!青田買い!俺はまだ青いぞ!ケツもつま先も口紅も機関車も青いぞ!


2021.3.13

「エヴァと私と小鳥と鈴と」

 

ついこの間、エヴァンゲリオンを映画館にみてきました。高校生の時に初めて見てから好きだったエヴァが、ついに完結すると言うことで気になって観に行きました。きっと、直接的なネタバレでなくとも、面白かったとか、つまらなかったとかの感想ですら聞きたくないと言う人もエヴァンゲリオン好きには、いるでしょうから今回の新作の感想は何も書きません。と言うか自分には書けないのです。なぜなら、自分は高校生の時に初めてエヴァンゲリオンを見た時からずっと雰囲気だけで楽しんでいるからです。

つまり、アニメ版も旧劇場版も今までの新劇場版も、何が起きていたのか人に説明ができません。なんかよくわかんないけど、エヴァと言うロボで、本当になんで攻撃してくるかわかんないやつ(使徒)と戦ってて、よくわかんない感じになるとかしか説明できません。(多分、エヴァをロボというと怒る奴もいる)

こんなことを言うと、ほんとに好きなんかお前とか言われそうですが、エヴァンゲリオンはすごく好きなんです。

時は高校時代に遡ります。

 

小学校中学校を徒歩通学していたのが、高校生になって自転車通学になった時、今までと比べて格段に移動範囲が増え、高校を下校する時はいろんなところを自転車でうろうろするようになりました。移動場所の一つに「本の王様」と言う、本屋、レンタルCDDVD屋が合体した店がありそこに二日に一回くらいは通っていました。そこで生まれて初めてビートルズのCDも買ったし、レンタル CDでやたら洋楽を聴きあさっていたり。高校では演劇部に入ったせいか映画にも興味が出て、いろいろ借りて観ていました。今の自分のインプットの7割くらいは「本の王様」のおかげだと思う。ありがとう本の王様。

ある時、演劇部の先輩同士がエヴァンゲリオンの考察を興奮気味にしているのを見かけました。普段演劇には対して情熱もない人たちが、熱く話すエヴァンゲリオンの考察の中にはやたらと「旧約聖書」とか「何回めの宇宙」とかのワードが飛び交っていて、めちゃくちゃ頭が良さそうに見えたし、こいつら人畜無害そうな顔してすごい深いこと考えてすごいと思った。エヴァンゲリオンを探したらやっぱり「本の王様」は持ってたので、すぐに王様から借りてきました。

 

文化的なものを剥奪された三重県津市という土地で育った自分にとって、エヴァンゲリオンは黒船でした。かっこよくてスタイリッシュな戦闘シーン。乗って操縦するだけじゃない、ガンダムとは明らかに違う操縦方法。エロいお姉さん。見たことないタイプのヒロイン。ずっとうだうだいってるシンジくんも感情移入できるし、そんなナードやろうが立ち上がる「男の戦い」で大興奮。そして、なんかよくわかんないラストはよくわかんないけど面白い、、、。こんなの見たことない!

ああ、エヴァンゲリオンについて誰かと話したいと思って、まずは自分と同じくスクールカースト最下位の親友である小林くんに話したら、小林くんはニヤリと笑って「お前もついにエヴァに行き着いたか」みたいなこと言ってました。ニキビで顔ぶつぶつだし、メガネだし、ワックスつけすぎた髪にホコリついてるし、ほんとにこいつ見るたびに気持ち悪いなと思ったけれど、その後ふたりでエヴァンゲリオンについて話したのは本当に楽しかったのです。

よくわからんけど、聖書の内容がモチーフになってて、旧劇場版の後の世界が新劇場版でみたいな話を熱くした気がします。なんかエヴァについて話してるとものすごく頭が良くなった気がしました。他のアニメとは次元の違うものを見たような気がしていたし、クラスでエヴァンゲリオンを全部見たのはごく限られた自分たちだけな気もしてました。クラスのスクールカースト上位は今日もラッドの歌詞がいいとかしょうもない話をしてるけど、向こうはシャバい恋愛ソングの歌詞、こっちは繰り返す宇宙の話とかしてるからもう次元が違うと思ってました。そして自分は次にこう思いました。自分もエヴァンゲリオンみたいなものを作りたいと。

 

自分は演劇部に入っていたので、エヴァみたいな脚本を描こうと決心しました。

それから毎晩少しづつ話を練って書き続けました。内容は普通の高校生の高校生活が徐々に狂っていくみたいな感じだった気がする。これ以上は思い出したくない。

エヴァみたいに難しい用語をたくさん脚本に盛り込もうと、哲学用語とか無理して入れてみたり。。でも全く知識がないので本の王様に行き、ニーチェとデカデカと表紙に書かれたやたら分厚い本とか買ったりしました。昔、教会の前で配ってたからもらった聖書を引っ張り出して読んでみたり、そして何回もエヴァを見ました。ビートルズの難しそうな歌詞も引用して。大団円はもちろん「おめでとう、おめでとう」のテレビ版エヴァのオマージュ。

完成した次の日、自信満々で部員にみせて、読み合わせをしました。その後は、もうひどい有様でした。いろいろ言われて、心はボッコボコになっていたのですが、一番自分の心臓に槍を刺した言葉は「エヴァじゃん」でした。

まあ、演劇部は周りも痛いやつばっかだったので、それを見つつ自分の痛さを棚に上げて、すぐに立ち直りましたが、今でも思い出すたびに心臓がギュッとなります。

 

その後、高三になった時にエヴァのQが公開されて、小林くんとみに行きました。観終わった後、義樹には難解だったんじゃないかと言う彼の横顔は殴りたくらい気持ち悪かった。

でも小林くんの言うとおり、自分はよくわからなかった。でも別にそれでよかった。

 

それから8年経って改めてエヴァを見て、忘れてたエヴァみたいな脚本を思い出して何回か心臓がギュッとなりました。


2019.10.10

デスクワークなバイトをずっとしています。パソコンをいじるのでついでにツイッターやら適当な記事も読んだりします。最近はもっぱらあいトリのニュースでげんなりしています。アーティスト達は連帯責任的にみな一様にげんなりしているような気がします。最近はチンポムにまで炎上が飛び火しましたね。ちょうど同じ日にスピッツが新作アルバムを出してたのでツイッタートレンド1位をチンポムとスピッツが競争してましたね。スピッツの新作は楽しく聴きました。

 

そんなこんなでジャスミンティーには性欲を増幅させる効果があるらしいというネットの記事を見つけました。ジャスミンの葉に含まれるなんかの物質の効果により、男女関係なくめちゃくちゃムラムラするらしいです。他の記事を読むとジャスミンティーでは性欲は増幅しない、科学的根拠が一切ないと書いてあって、実際どっちなんだろうと、とても気になって、最近ジャスミンティーばっかり飲んでいます。今も飲んでいます。

1日に最低1リットル。コンビニに売ってる紙パックのジャスミンティーを飲んでいますが一向に効果を実感しません。もしかしたら、パックのジャスミンティーは工場で作られる過程で、ジャスミンのそのムラムラする成分が死んでしまうので、ムラムラしないのではないだろうかと考え、葉を買って自分でお茶を淹れてみることにしました。

結論から言うと、美味しかったけど性欲の高まりを感じることはできませんでした。

 

追記

友達のおじいちゃんがお茶農家で、とれたての茶葉でそのままお茶を淹れるとガン決まりになれるそうです。レッドブルなんかより、新茶が一番やばいそうです。お茶こそ日本古来のナチュラルドラッグなのかもしれません。

気になったので新茶の季節に分けてもらおうと思います。


2019.10.7

恥の多い生涯を送ってきました。フィリピンで寝た女が実の父でした。

 

思い返せば幼い頃から私は道化を演じてきたように思います。4歳の頃に母親に売られて、パクチーの密輸業者が片手間に経営するサーカス団に入団し6歳の頃にはスターピエロとして年収がヒカキンを超えることもありましたが、売られてきた私によくしてくれた団長がピエロ恐怖症により心臓発作で亡くなってしまいました。そこからが私の激動の人生の幕開けでした。団長が急死したのは私が8歳の時でした。私を可愛がっていた団長が死んだことで、私を妬む下級ピエロからのいじめがヒートアップしました。彼らは毎晩私が寝ているベットにアフリカから密輸入した軍隊蟻を5ダース放ったのでした。たまにヒアリが混ざっていることもあり、痛みで涙を流すことさえありました。蟻だけに。

しかしある時起きた時私は森の中にいたのです。私が見ていた景色は全て夢だったのです。その時私はもう20歳を超えていました。

私は今までどうやって生きてきたのでしょうか。

教えていただきたい。    


2019.9.19

 2019年はなんやかんやがありました。まだ9月なのでまだあと3ヶ月くらい今年のなんやかんやがあると思うのですが、今年初めて海外旅行というものに行きました。今まで島国の中だけで生きていましたが、飛行機に乗って5月の1ヶ月間香港に行きました。レジデンスで行きました。個展と、トークショーとワークショップを最後の週に開催しなければいけないというハードスケジュールのせいで、2週間くらい制作のために引きこもっていました。普段なら何ヶ月かかける個展の準備を2ヶ月だなんて短期間でこなしたことを褒めてほしい。6月1日に帰ってきたらデモが始まるし、日本は日本でずっとずっと最悪な状態だし、本当にモニターから流れてくる世界が終末に向かって行ってるようにしか見えなくて悲しくなりましたが、意外と変わらない生活を自分自身は送っているので、何が何だかよくわかんなくなりますね。太郎賞出したり、群馬県立美術館で展示あったり、友達に子供ができたりした今年で、あと3ヶ月何があるのか。来年ガーディアンガーデンで個展やります。すごいでしょ。鬼も笑ってるね。

ガッハッハ。


 2018.3.21

 

「自分が世の中の最年少記録の数々を打ち破っていくかと思った」

と言っていた友人の言葉に笑いながら「わかるー」と頷いたのだけども

笑い事では無いぞと今はっと思った。

はっと思っているこの瞬間、自分はミスターチルドレンのライブ動画を観ている。

「見ている」でなく「観ている」。あんなに馬鹿にしていたミスターチルドレン。

オレンジレンジもグリーンも、とにかく流行しているものを流行しているタイミングで聴くのが

ダサいと思っているから、基本世間のほとぼりが冷めてから聴く。

だから、世の中よりも流行のテンポが遅い。

今これ聴いてる自分かっこいい的な。

誰よりも流行の前を走るトップランナーになりたいけどなれないから、あえて周回遅れ。一番痛いやつ。

 

そして、なんとなく今まで触れてこなかったミスターチルドレンに手を伸ばした。

やっぱり、トップランナーが気になる。心の中ではやっぱり自分だってトップランナーに

なりたいって思ってる。気になる。

 

日本のトップランナーのミスターチルドレンに、どうかしょうもないことを歌っていてほしかった。どうでも良すぎるいい恋の歌とか、国と結託して作った馬鹿な大衆の労働意欲を向上させるためだけの歌とかそう言ったどうでもいいものを歌って欲しかった。とにかくこいつらが自分と違って大衆にもてはやされているのは、大衆が馬鹿だからということを確認したかった。そうすればみんなが自分のことに見向きもしないことに、「自分の考えは深く深く崇高だけども、世間は馬鹿だから素通りしちゃう。」という、とても都合のいい理由づけが出来るのだ。さあミスターチルドレンよ、最初期の日本のビートルズを真似ようとしたけど、出来なかったみたいなグループサウンズを彷彿とさせるような、あの子が好きだよ~やあやあやあ的な、しょうもないことを歌っていてくれ。と思って聴いた「GIFT」に気づけば自分は号泣していた。

 

そして気づけばベスト盤を買っていた。

こんなに性格がひねくれている自分でさえ1曲聴いただけで、ベストを買ってしまうほどの

ミスターチルドレン。そりゃみんな買いますよ。そりゃミリオンヒットも出しますよ。

いいものが必ずしも認められるわけでも無いけれど、認められているものは、大体いいものだってことに今更ながら気づく。そうで無いものももちろんありはするけれど。

このことに23歳でやっとミスターチルドレンに気付かされた。

破れる最年少記録は少なくなってきたし、自分のやっている美術のジャンルで大活躍する年下、同年代は沢山いる。辛くなる時もあるけど、もう大丈夫。自分には桜井さんがついてるのだ。

 

嫌なことがあっても、自分に都合のいいミスチルの歌詞を探せば、大体のことでは前を向ける気がする。

 

2018.3.20

 

友達がある美術作家のトークショーに行くと言っていた。

トークショーができる人はすごいと思う。自分は喋るのが下手だから。

 

そのトークショーの入場料は1000円だった。

1000円払ってでも話しているのを聞きたいと思わせられるなんて、さらにすごい。

友達は楽しみにしているらしい。

美術作家のくせに作品だけでなく、喋りでも人を魅了するのだ。

知識や経験を吸収したいと思われるような人が羨ましい。

流暢に喋ることができるようになるためにはどうしたらいいのだろうか。

 

トークショーを上手くなりたい。

展示のイベントといえば、ゲストを呼んでのトークショーだ。

展示のイベントなんて音楽ができる友人を呼んで、ミニライブをやるとか、自分のパフォーマンスを見せるくらいでいいんだけど、今時はトークショーを開き、その功績を認められ、日本全国津々浦々で人の展示のトークショーにゲストで呼ばれ、その謝礼金で飯を食うのがスタンダートなんだと思う。

謝礼金で食うラーメンは、さぞ美味かろう。憧れる。

 

トークショーでのトークの技術を教えてくれる塾とかはないのだろうか。

ネットで検索すると、人前でうまく話せない人のための、ビジネスマンのための会話講座とか、

話し方のHOW TO本とかがひっかかったけれども、求めているものとは違う。

意外と、トークショーの登壇者向けの講座は需要がないのか。ないか。

 

あと、トークショーは自分の相手の選び方が重要だ。あんまり知能に開きがあるとお話にならない。お客さんも「あ。このゲスト登壇者は賢い人だけども、もう片方何も知らないバカだ。」とバレる。いやだ。こわい。頭いい人だと思われたい。知識量すごいなあとか、深い考えとか、おもしろい視点を持った人だなあ、さすがトークショーを開くまでに美術というものを極めたお方だあ。とか思われたい。

 

じゃあ、もっと美術を勉強すればええやんか。

しかし、勉強を頑張るとしても、自分の限界はたかが知れてる。

それに、美術ガチ勢の知識量は多分グーグルを超えてるし、さらにその上で自分の考えもしっかりと持っているのでトークショーに呼べば、自分はなぜそんなこともわからないのだと公開説教されておわる。

そんなんいやや。

 

だから呼ぶのならば、自分のバカがばれぬよう、自分と同じか、自分より知識がなさそうな人を呼びたい。

でも、それで集客力がない人だったら、わざわざトークショーにする意味がないので、

さらに集客力のある人を呼びたい。

 

 

だから、木梨憲武か片岡鶴太郎を呼びたい。

 



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